株で絶対に負けない方法は「株をやらないこと」です。
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株はギャンブルじゃないと言われます
この価値観は負け組だけのものではなく、むしろ今のところ株で資産を増やせている自称勝ち組がよく口にする言葉です
パチンコや競馬、場合によってはロト6や宝くじも含めて、一般に「ギャンブル」と呼ばれているものは低俗なものとして認知されているかと思います
レバレッジの過激さが問題視されていた頃はFXもこちら側に含まれていましたよね
趣味がギャンブルとなると、大抵の人には多少なりとも軽蔑されてしまうものです
では株の場合はどうでしょうか
株はギャンブルではないのでしょうか
ギャンブルでないとするなら、株はいったい何なのでしょうか
これに対して用意されている答えは、投資です
株屋の皆さんは勝ち組負け組み問わず、株は投資と言います
投資はギャンブルではないのだから、株はギャンブルではないよ、とこのように弁明します
しかし次に疑問となるのは「投資とは何ぞや?」「投資とギャンブルはどう違うのか?」という件です
私のブログでは「小説のようなもの」のカテゴリーで一時ネタにしましたが、私の考える投資というのは「自己投資」という言葉があるように「ある程度の出資をしてその分以上の対価を得ること」だと考えています
たとえば「英語を習得するために英会話教室に通う」
これは自己投資、つまり投資の一環だと考えています
英会話教室に通うためにはお金がかかります
そしてサラリーマンであるのなら休日をそのために使わなければなりません
「それなりのお金とそれなりの時間」という出資をすることで「英会話が習得できる」という対価を得ることができます
出資<対価である場合のみ、投資は成立するものだと思います
対してギャンブルというのは、出資に対しての対価、または対価に対しての出資が「安定しない」ものを指します
ロシアンルーレットを例にとって見ましょう
6発式のリボルバーに弾が一発だけ入っており、こめかみに当てたそれの引き金を一回引くごとに一億円もらえる、とします
まぁ一発だけですので、死ぬ確率は1/6です
結構な確率で生き残り、最初の一億円をもらえそうな気はします
一億円あれば、借金に苦しむ人でも悩みを解消できそうな金額ですし、すでに死のうと思っている人はこのゲーム、やってみてもいいかもしれません
とはいえ、お金の代わりに要求されているのは自分の命です
その人の価値観によりますが、かけがえのないものですので、金額換算なんて当然できません
たとえ生き残る確率のほうが高くても、通常の神経でこれをやろうと思う人はいないでしょう
私はこれをギャンブルだと考えています
先に申しましたが、出資に対する対価、または対価に対する出資が安定しないことだからです
競馬はやったことがないので強くは書けませんが、少なくともパチンコ、宝くじはギャンブルではありません
なぜなら出資>対価の関係が必ず成り立ち、やればやるほど損をすることが始めからわかっているからです
特にパチンコや宝くじは、出資に必要な金額と、対価として得られる金額とその確率が公表されています
ちょっと計算してみればわかることだと思いますが、統計学的な視点から見れば、期待値が常にマイナスになるということです
それを知っていてなおパチンコに行く人、宝くじを買う人は、単に頭が悪いか、お金を使って遊ぶ感覚かのどちらかだと思います
さて、本題の株ですが、この「出資」に該当するのは言うまでもなくお金です
そして得られる「対価」に該当するのも言うまでもなくお金です
つまり株を投資と呼ぶなら、出資した以上に対価を得る必要があります
早い話が何らかの方法で儲け続けなければならないのです
この「何らかの方法」というのは、インサイダーを始めとする犯罪行為、仕手、優待のタダ取りなどの行為を全て含みます
単に「上がるかな?」と思って買って、たまたま上がったので儲かっている、という不確実なものは指しません
問題なのは、株の場合、パチンコと違って、当たりの確率や当たったときの収入を教えてくれないことです
なので、たとえ今現在負け続けていたとしても「たまたま悪い目を引き続けてきただけだ」という主張を論破することができません
逆に言えば今現在勝ち続けているとしても「たまたま良い目を引き続けているだけだ」と言ってしまうこともできます
勝ち組を自称する人が、今後もずっと勝ち続けられるのかわかりませんし、もしかしたら何らかの経済危機によって資産を全て失ってしまう可能性も否定できないのです
事実、何十年にも渡って勝ち続けてきたが、あるとき壮絶に損をして生涯収支がマイナスに転落、といった人生を歩んだ人もいるそうですから、真の勝ち組は「勝った状態で株を辞めた人」だと私は思います
個人が証券会社に口座を開いて株の売買をしている時点で、株はギャンブルです
今現在、勝っていようが負けていようが、関係ありません
しかし「株は投資」という反論しにくい価値観が世の中に芽生えているからこそ、負け組の人たちはなかなかこの世界から足を洗えません
約三年に渡って1000万以上の損をした私でも、たまたま任天堂やガンホーのような何十倍も上がる株をつかむことができれば、今からでも大逆転という可能性が常にあるのです
この「大逆転の可能性があるかないか」がパチンカーと株屋の違いです
パチンカーは「負け続ける宿命」という事実に気づいたとき、または「パチンコという遊びに飽きたとき」という辞めるきっかけがありますが、株にはありません
「相場は明日もある」という言葉あるように、大逆転の可能性は明日も来月も来年もあるのです
だから株は辞められない
負け組でも株は辞められない
完全にお金を失って、死ぬ寸前まで辞められない
株は本当に怖いですよ
この価値観は負け組だけのものではなく、むしろ今のところ株で資産を増やせている自称勝ち組がよく口にする言葉です
パチンコや競馬、場合によってはロト6や宝くじも含めて、一般に「ギャンブル」と呼ばれているものは低俗なものとして認知されているかと思います
レバレッジの過激さが問題視されていた頃はFXもこちら側に含まれていましたよね
趣味がギャンブルとなると、大抵の人には多少なりとも軽蔑されてしまうものです
では株の場合はどうでしょうか
株はギャンブルではないのでしょうか
ギャンブルでないとするなら、株はいったい何なのでしょうか
これに対して用意されている答えは、投資です
株屋の皆さんは勝ち組負け組み問わず、株は投資と言います
投資はギャンブルではないのだから、株はギャンブルではないよ、とこのように弁明します
しかし次に疑問となるのは「投資とは何ぞや?」「投資とギャンブルはどう違うのか?」という件です
私のブログでは「小説のようなもの」のカテゴリーで一時ネタにしましたが、私の考える投資というのは「自己投資」という言葉があるように「ある程度の出資をしてその分以上の対価を得ること」だと考えています
たとえば「英語を習得するために英会話教室に通う」
これは自己投資、つまり投資の一環だと考えています
英会話教室に通うためにはお金がかかります
そしてサラリーマンであるのなら休日をそのために使わなければなりません
「それなりのお金とそれなりの時間」という出資をすることで「英会話が習得できる」という対価を得ることができます
出資<対価である場合のみ、投資は成立するものだと思います
対してギャンブルというのは、出資に対しての対価、または対価に対しての出資が「安定しない」ものを指します
ロシアンルーレットを例にとって見ましょう
6発式のリボルバーに弾が一発だけ入っており、こめかみに当てたそれの引き金を一回引くごとに一億円もらえる、とします
まぁ一発だけですので、死ぬ確率は1/6です
結構な確率で生き残り、最初の一億円をもらえそうな気はします
一億円あれば、借金に苦しむ人でも悩みを解消できそうな金額ですし、すでに死のうと思っている人はこのゲーム、やってみてもいいかもしれません
とはいえ、お金の代わりに要求されているのは自分の命です
その人の価値観によりますが、かけがえのないものですので、金額換算なんて当然できません
たとえ生き残る確率のほうが高くても、通常の神経でこれをやろうと思う人はいないでしょう
私はこれをギャンブルだと考えています
先に申しましたが、出資に対する対価、または対価に対する出資が安定しないことだからです
競馬はやったことがないので強くは書けませんが、少なくともパチンコ、宝くじはギャンブルではありません
なぜなら出資>対価の関係が必ず成り立ち、やればやるほど損をすることが始めからわかっているからです
特にパチンコや宝くじは、出資に必要な金額と、対価として得られる金額とその確率が公表されています
ちょっと計算してみればわかることだと思いますが、統計学的な視点から見れば、期待値が常にマイナスになるということです
それを知っていてなおパチンコに行く人、宝くじを買う人は、単に頭が悪いか、お金を使って遊ぶ感覚かのどちらかだと思います
さて、本題の株ですが、この「出資」に該当するのは言うまでもなくお金です
そして得られる「対価」に該当するのも言うまでもなくお金です
つまり株を投資と呼ぶなら、出資した以上に対価を得る必要があります
早い話が何らかの方法で儲け続けなければならないのです
この「何らかの方法」というのは、インサイダーを始めとする犯罪行為、仕手、優待のタダ取りなどの行為を全て含みます
単に「上がるかな?」と思って買って、たまたま上がったので儲かっている、という不確実なものは指しません
問題なのは、株の場合、パチンコと違って、当たりの確率や当たったときの収入を教えてくれないことです
なので、たとえ今現在負け続けていたとしても「たまたま悪い目を引き続けてきただけだ」という主張を論破することができません
逆に言えば今現在勝ち続けているとしても「たまたま良い目を引き続けているだけだ」と言ってしまうこともできます
勝ち組を自称する人が、今後もずっと勝ち続けられるのかわかりませんし、もしかしたら何らかの経済危機によって資産を全て失ってしまう可能性も否定できないのです
事実、何十年にも渡って勝ち続けてきたが、あるとき壮絶に損をして生涯収支がマイナスに転落、といった人生を歩んだ人もいるそうですから、真の勝ち組は「勝った状態で株を辞めた人」だと私は思います
個人が証券会社に口座を開いて株の売買をしている時点で、株はギャンブルです
今現在、勝っていようが負けていようが、関係ありません
しかし「株は投資」という反論しにくい価値観が世の中に芽生えているからこそ、負け組の人たちはなかなかこの世界から足を洗えません
約三年に渡って1000万以上の損をした私でも、たまたま任天堂やガンホーのような何十倍も上がる株をつかむことができれば、今からでも大逆転という可能性が常にあるのです
この「大逆転の可能性があるかないか」がパチンカーと株屋の違いです
パチンカーは「負け続ける宿命」という事実に気づいたとき、または「パチンコという遊びに飽きたとき」という辞めるきっかけがありますが、株にはありません
「相場は明日もある」という言葉あるように、大逆転の可能性は明日も来月も来年もあるのです
だから株は辞められない
負け組でも株は辞められない
完全にお金を失って、死ぬ寸前まで辞められない
株は本当に怖いですよ
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