株で絶対に負けない方法は「株をやらないこと」です。
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今日は、絶望について書きます
トレードをやっていると、大損することがあります
金額は人それぞれなのであえてパーセンテージで書きますが、一日で10%マイナス、一ヶ月で30%マイナス、半年で50%マイナス、といったことが株の世界では起こります
株式投資を始めてみようと思った人は、証券会社に口座を開く資格を持ち、それなりの投資資産を持ち、且つそれを自由にできる立場にあるわけですから、そこそこの年齢を重ねているものと思います
となれば、これまで人生色々、腹の立つことや悲しいこと、誰かを不幸にしてやりたいと思ったことや、いっそのこと死んでしまおうかと思ったことの一度や二度、あると思います
そこで、株式投資を行う上で仮に大損したとき、人はどういった絶望を味わうのか、私の例を使って段階的に説明してみようかと思います
一段階――怒り
単純明快、怒りです
この「怒り」という感情を知らない人はいないと思いますので、説明するまでもないと思います
怒りの質としては、思い通りにいかなかったことに対する怒り
小さい子供がお母さんに玩具を買ってもらえないから、という理由でダダをこねるのと全く同じ性質のものです
なぜオレが買った途端下がるんだ!
ふざけるな! 金を返せ!
とまぁこういったことです
特別負け組でなくとも、買った株が大きく下がることは日常的にありますので、株式投資において怒りを感じたことのない人はいないでしょう
もっともポピュラーで、もっとも初期的な絶望です
二段階――悲しみ
怒りの次は悲しみがやってきます
たとえるなら今日買った株が前日比-10%で引けて、期待をかけた翌日更に-10%になってしまったとき、などでしょうか
玩具を買ってもらえない子供の例で言えば、ダダをこねたものの、お母さんは結局次の買い場へ行ってしまうので、このまま粘っていてもどうしようもない
仕方なくお母さんの後を追いかけることにしますが、買ってもらえなかった玩具が頭にちらつき、何をしていても玩具で遊んでいた自分を空しく想像してしまう
こんなところでしょうか
悲しいとき、というのは人生様々な局面で訪れますが、怒りの次にやってくる悲しみ、つまり絶望への途中経過ともいえる悲しみは、他の悲しみを逸していると言えます
なぜ自分だけがこんな目に遭うのだろう
神様はオレのことが嫌いなんだろうか
というように、やり場のない怒りを越えて、やり場のない悲しみに心が支配されます
三段階――空虚
悲しみを越えての絶望は、空虚です
頭の中がからっぽになります
前日比-10%、その翌日更に-10%、そして更にその翌日-10%
まぁこうなることは稀ですが、第二段階の悲しみ状態のときに更なる絶望を味わうと、この空虚がやって来るということです
画面に映る多大な含み損は、見えてはいますが、脳がそれを認識してくれなくなります
見たこともない金額がマイナスとなっていて「これはもしかして夢なんじゃないか?」と現実逃避に走り出します
何をしていても株で損をしてしまった「現実」だけが頭の中にあって、日常生活をまともに送れなくなってしまいます
誰かに声をかけられても第一声では反応できず「えっ?」と聞き返してしまいます
大抵の人は、この第三段階で株を危険なものと認識し、含み損を決済する覚悟を決めます
そして二度とこんな絶望を味わいたくない、と心機一転、株から足を洗うことを決意し、株式投資の世界から去っていくでしょう
なので、普通の感覚の人はこれ以上の絶望を味わうことはありません
空虚を越えてからの絶望は一般人がまず踏み入れることのない闇の世界
私の経験から次の段階を説明しましょう
四段階――愉快
意外かと思います
空虚の段階を超えて更に大損、つまり絶望を味わうと愉快な気持ちになります
まるで観覧車に乗って、徐々に高みへ登っていくかのような愉快です
今まであったこと、これから起こるであろうこと、そういったことは頭にありません
ただもの凄い勢いで減っていく資産の動きが、あまりにファンタジーで現実味がなく「それいけー♪ もっとやれー♪」と止め処なく膨らむ風船を応援しているような気持ちになります
「ハイになっている」というのが一般的には近いかもしれません
もはや大損していることよりも、目の前で起きている理解の及ばない不幸があまりに他人事で面白おかしく「このままいったらオレどうなるんだろうな」と、未だ味わったことのない世界をこれから味わえるというwktkが心を支配します
翌日に資産が戻すことよりも、このまま含み損の新記録を作っていってもらいたい、とさえ思えてきます
人間の心は、理解を超えるものと出会ったときの防衛本能として絶望の中にも愉悦を生み出すように作られているのかもしれません
五段階――空虚
書き間違いではありません、再び空虚です
ただ第三段階の空虚とはレベルが違います
この段階の空虚は「他のことがどうでもよくなる」というのがつきます
ここまで来ると、もはや何をしていても株のことが頭から離れません
今まで減ってきた資産がもし戻るなら、他の不幸は何でも受け入れる
生みの親が死のうが、仕事を首になろうが、交通事故で半身不随になろうが、全て受け入れる
だから株の損失だけはどうにかして欲しい、といったことを考え始めます
もっとも他で不幸になったところで株の利益とは何の関係もないのですから、単に不幸を上積みされてしまうという無意味な願いですが、それくらい損をした事実が重く頭にのしかかります
借金をして株をやり始めるのはこの段階からだと思います
普通の神経なら「借りてギャンブルをやるなんて狂っている」と判断するのでしょうが、この段階まで絶望してしまった人は、そんなこと考えません
「借金を返せなくなったら」という未来に起こるかもしれない事実よりも、株の損失を何とかできるかもしれない希望のほうを選んでしまいます
しかし頭の中には「損を取り返したい」という考えしかありません
「儲けるにはどうすればいいか」「何に失敗したからこうなったのか」「反省点は? 改善点は?」というような賢明な考えは一切頭にありません
ハイリスクでもハイリターンな投資を繰り返し、一刻も早く損失を元通りにと願ってしまいます
六段階――絶望と祈り
いよいよ末期の状態です
ここまできてやっと「絶望」という言葉が使えます
絶望というのは、簡単に言うと「夢も希望もない状態」を指します
つまり「これ以上どうすればいいのかわからない」ということです
この段階に至るまで、様々な投資法を試してきたと思います
ニュースに踊らされたりしたこともあれば、テクニカルを本気で考えたこともあるでしょう
そしてその全てに裏切られ、大損をし、ここまで来てしまった、というわけです
もはや人知を越える出来事が起きているとしか思えなくなってきます
人の手ではどうしようもない何かがオレを殺しにかかっているんだ、と本気で信じるようになります
しかしそれでも人は救いを求めるものです
むしろ絶望の淵に立たされているからこそ、救われたいと願うようになります
これまでに様々に裏切られてきたわけですから、もはや頼れるものといえば人知を超えた存在、つまり神しかないと信じ込み、特に信心深い人でなくとも神に祈りを捧げることになります
助けてください
今度だけ救ってください
何でもします
だからお願い株神様
オレを助けてください
と
最終段階――真の絶望
私が考える真の絶望は「悟りを開く」「全てがどうでもよくなる」です
株で損したところで死ぬわけじゃない
でももし借りた金で揉めて死ぬときが来たら、そのときは死ねばいいじゃん
別に今、あれこれ考える必要はないよね?
アニメでも見ようっと
と、まぁこのような感じで、何事にも動じなくなります
一般の人にもわかるように簡単に言えば「死を覚悟した状態で普通に生きる」というのが適切な表現でしょうか
いついかなるときでも自分はふとしたきっかけで死ぬことになるだろう
でも別にそのときが来たら潔く死ねばいいだけの話で、くよくよ悩むだけ時間の無駄
それなら今あるこのときを好きに生きとくか、といった感じで、ある意味前向きな思考回路になります
やや不謹慎な話になりますが、余命何ヶ月と宣告された人の心理に似ているかもしれません
宣告されたときは相当悲しい思いをしますが、最終的には「今ある時間を大事に」と考えるようになっていきます
むしろ交通事故などで即死するよりも、死ぬ準備を整えるだけの時間がもらえてよかったとさえ考えるでしょう
人は、どんな絶望を味わっても最後は前向きに考えるものなのかもしれません
人の力ではどうしようもないことというのが人生ではたびたび起こります
そのときにいちいち怒ったり悲しんだりしていては疲れてしまうだけです
「どうでもいいや」「どうにでもなれや」と全てを放棄し、今を生きるというのが最終的な人間の姿だと私は思います
よく株式投資で損をして「死にたい」と言う人や、実際に自殺をしたりする人がいますが、私に言わせれば、せいぜい第三段階の空虚を味わっているだけのことです
もっと先の深い絶望を味わったことのない甘えた人たちだと思います
いやむしろ、その先の世界が怖いから、そんなものを味わうぐらいなら死んでしまいたいと考えるのかもしれません
精神的に未熟なお子様な考えといえるでしょう
私はここに記した最終段階の絶望を味わいましたが、未だ生きています
しかも精力的にブログまで更新しています
私が自殺をしないのに、それより甘い損や甘い絶望で死にたい死にたいなどと言っている人たちは、なんて幼い甘えん坊なんだろうと思います
株の損なんてどうとでもなります
どうせ人間、ふと会社へ行こうと思ったら居眠り運転のトラックにはねられた程度の不幸であっさりと死んでしまいます
今、生きている
それだけで十分幸せではないでしょうか
私は大損に次ぐ大損を経験し、仕事を失い、日雇い労働の最底辺の身分ですが、今はそんなふうに思います
トレードをやっていると、大損することがあります
金額は人それぞれなのであえてパーセンテージで書きますが、一日で10%マイナス、一ヶ月で30%マイナス、半年で50%マイナス、といったことが株の世界では起こります
株式投資を始めてみようと思った人は、証券会社に口座を開く資格を持ち、それなりの投資資産を持ち、且つそれを自由にできる立場にあるわけですから、そこそこの年齢を重ねているものと思います
となれば、これまで人生色々、腹の立つことや悲しいこと、誰かを不幸にしてやりたいと思ったことや、いっそのこと死んでしまおうかと思ったことの一度や二度、あると思います
そこで、株式投資を行う上で仮に大損したとき、人はどういった絶望を味わうのか、私の例を使って段階的に説明してみようかと思います
一段階――怒り
単純明快、怒りです
この「怒り」という感情を知らない人はいないと思いますので、説明するまでもないと思います
怒りの質としては、思い通りにいかなかったことに対する怒り
小さい子供がお母さんに玩具を買ってもらえないから、という理由でダダをこねるのと全く同じ性質のものです
なぜオレが買った途端下がるんだ!
ふざけるな! 金を返せ!
とまぁこういったことです
特別負け組でなくとも、買った株が大きく下がることは日常的にありますので、株式投資において怒りを感じたことのない人はいないでしょう
もっともポピュラーで、もっとも初期的な絶望です
二段階――悲しみ
怒りの次は悲しみがやってきます
たとえるなら今日買った株が前日比-10%で引けて、期待をかけた翌日更に-10%になってしまったとき、などでしょうか
玩具を買ってもらえない子供の例で言えば、ダダをこねたものの、お母さんは結局次の買い場へ行ってしまうので、このまま粘っていてもどうしようもない
仕方なくお母さんの後を追いかけることにしますが、買ってもらえなかった玩具が頭にちらつき、何をしていても玩具で遊んでいた自分を空しく想像してしまう
こんなところでしょうか
悲しいとき、というのは人生様々な局面で訪れますが、怒りの次にやってくる悲しみ、つまり絶望への途中経過ともいえる悲しみは、他の悲しみを逸していると言えます
なぜ自分だけがこんな目に遭うのだろう
神様はオレのことが嫌いなんだろうか
というように、やり場のない怒りを越えて、やり場のない悲しみに心が支配されます
三段階――空虚
悲しみを越えての絶望は、空虚です
頭の中がからっぽになります
前日比-10%、その翌日更に-10%、そして更にその翌日-10%
まぁこうなることは稀ですが、第二段階の悲しみ状態のときに更なる絶望を味わうと、この空虚がやって来るということです
画面に映る多大な含み損は、見えてはいますが、脳がそれを認識してくれなくなります
見たこともない金額がマイナスとなっていて「これはもしかして夢なんじゃないか?」と現実逃避に走り出します
何をしていても株で損をしてしまった「現実」だけが頭の中にあって、日常生活をまともに送れなくなってしまいます
誰かに声をかけられても第一声では反応できず「えっ?」と聞き返してしまいます
大抵の人は、この第三段階で株を危険なものと認識し、含み損を決済する覚悟を決めます
そして二度とこんな絶望を味わいたくない、と心機一転、株から足を洗うことを決意し、株式投資の世界から去っていくでしょう
なので、普通の感覚の人はこれ以上の絶望を味わうことはありません
空虚を越えてからの絶望は一般人がまず踏み入れることのない闇の世界
私の経験から次の段階を説明しましょう
四段階――愉快
意外かと思います
空虚の段階を超えて更に大損、つまり絶望を味わうと愉快な気持ちになります
まるで観覧車に乗って、徐々に高みへ登っていくかのような愉快です
今まであったこと、これから起こるであろうこと、そういったことは頭にありません
ただもの凄い勢いで減っていく資産の動きが、あまりにファンタジーで現実味がなく「それいけー♪ もっとやれー♪」と止め処なく膨らむ風船を応援しているような気持ちになります
「ハイになっている」というのが一般的には近いかもしれません
もはや大損していることよりも、目の前で起きている理解の及ばない不幸があまりに他人事で面白おかしく「このままいったらオレどうなるんだろうな」と、未だ味わったことのない世界をこれから味わえるというwktkが心を支配します
翌日に資産が戻すことよりも、このまま含み損の新記録を作っていってもらいたい、とさえ思えてきます
人間の心は、理解を超えるものと出会ったときの防衛本能として絶望の中にも愉悦を生み出すように作られているのかもしれません
五段階――空虚
書き間違いではありません、再び空虚です
ただ第三段階の空虚とはレベルが違います
この段階の空虚は「他のことがどうでもよくなる」というのがつきます
ここまで来ると、もはや何をしていても株のことが頭から離れません
今まで減ってきた資産がもし戻るなら、他の不幸は何でも受け入れる
生みの親が死のうが、仕事を首になろうが、交通事故で半身不随になろうが、全て受け入れる
だから株の損失だけはどうにかして欲しい、といったことを考え始めます
もっとも他で不幸になったところで株の利益とは何の関係もないのですから、単に不幸を上積みされてしまうという無意味な願いですが、それくらい損をした事実が重く頭にのしかかります
借金をして株をやり始めるのはこの段階からだと思います
普通の神経なら「借りてギャンブルをやるなんて狂っている」と判断するのでしょうが、この段階まで絶望してしまった人は、そんなこと考えません
「借金を返せなくなったら」という未来に起こるかもしれない事実よりも、株の損失を何とかできるかもしれない希望のほうを選んでしまいます
しかし頭の中には「損を取り返したい」という考えしかありません
「儲けるにはどうすればいいか」「何に失敗したからこうなったのか」「反省点は? 改善点は?」というような賢明な考えは一切頭にありません
ハイリスクでもハイリターンな投資を繰り返し、一刻も早く損失を元通りにと願ってしまいます
六段階――絶望と祈り
いよいよ末期の状態です
ここまできてやっと「絶望」という言葉が使えます
絶望というのは、簡単に言うと「夢も希望もない状態」を指します
つまり「これ以上どうすればいいのかわからない」ということです
この段階に至るまで、様々な投資法を試してきたと思います
ニュースに踊らされたりしたこともあれば、テクニカルを本気で考えたこともあるでしょう
そしてその全てに裏切られ、大損をし、ここまで来てしまった、というわけです
もはや人知を越える出来事が起きているとしか思えなくなってきます
人の手ではどうしようもない何かがオレを殺しにかかっているんだ、と本気で信じるようになります
しかしそれでも人は救いを求めるものです
むしろ絶望の淵に立たされているからこそ、救われたいと願うようになります
これまでに様々に裏切られてきたわけですから、もはや頼れるものといえば人知を超えた存在、つまり神しかないと信じ込み、特に信心深い人でなくとも神に祈りを捧げることになります
助けてください
今度だけ救ってください
何でもします
だからお願い株神様
オレを助けてください
と
最終段階――真の絶望
私が考える真の絶望は「悟りを開く」「全てがどうでもよくなる」です
株で損したところで死ぬわけじゃない
でももし借りた金で揉めて死ぬときが来たら、そのときは死ねばいいじゃん
別に今、あれこれ考える必要はないよね?
アニメでも見ようっと
と、まぁこのような感じで、何事にも動じなくなります
一般の人にもわかるように簡単に言えば「死を覚悟した状態で普通に生きる」というのが適切な表現でしょうか
いついかなるときでも自分はふとしたきっかけで死ぬことになるだろう
でも別にそのときが来たら潔く死ねばいいだけの話で、くよくよ悩むだけ時間の無駄
それなら今あるこのときを好きに生きとくか、といった感じで、ある意味前向きな思考回路になります
やや不謹慎な話になりますが、余命何ヶ月と宣告された人の心理に似ているかもしれません
宣告されたときは相当悲しい思いをしますが、最終的には「今ある時間を大事に」と考えるようになっていきます
むしろ交通事故などで即死するよりも、死ぬ準備を整えるだけの時間がもらえてよかったとさえ考えるでしょう
人は、どんな絶望を味わっても最後は前向きに考えるものなのかもしれません
人の力ではどうしようもないことというのが人生ではたびたび起こります
そのときにいちいち怒ったり悲しんだりしていては疲れてしまうだけです
「どうでもいいや」「どうにでもなれや」と全てを放棄し、今を生きるというのが最終的な人間の姿だと私は思います
よく株式投資で損をして「死にたい」と言う人や、実際に自殺をしたりする人がいますが、私に言わせれば、せいぜい第三段階の空虚を味わっているだけのことです
もっと先の深い絶望を味わったことのない甘えた人たちだと思います
いやむしろ、その先の世界が怖いから、そんなものを味わうぐらいなら死んでしまいたいと考えるのかもしれません
精神的に未熟なお子様な考えといえるでしょう
私はここに記した最終段階の絶望を味わいましたが、未だ生きています
しかも精力的にブログまで更新しています
私が自殺をしないのに、それより甘い損や甘い絶望で死にたい死にたいなどと言っている人たちは、なんて幼い甘えん坊なんだろうと思います
株の損なんてどうとでもなります
どうせ人間、ふと会社へ行こうと思ったら居眠り運転のトラックにはねられた程度の不幸であっさりと死んでしまいます
今、生きている
それだけで十分幸せではないでしょうか
私は大損に次ぐ大損を経験し、仕事を失い、日雇い労働の最底辺の身分ですが、今はそんなふうに思います
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