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株で絶対に負けない方法は「株をやらないこと」です。
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「九電君、おはよう」
 
百田と一緒に大量の荷物と格闘しているところ、美砂がやって来た。
相変わらず眠そうな目をこすりながら書類の束を抱えている。
昨日台所に立っていた女とは別人のようだ。
 
「寝癖ついてんぞ、アホ」
「朝は時間がないの。そのうち直るよ。外勤じゃないんだからいいでしょ」
「襟が立ってるぞ。あとタイの結び方もおかしい」
「うるさいなー。注意されたら直すってば」
 
注意されないと直さないのか。
というか、今のオレのひと言は注意のうちに入らないのか。
日常生活の中でがさつなのはいいとしても、仕事中もそうだというのは社会人としての自覚が、ってまぁいいか。いつも通りだし。別にオレは関係ないし。
 
美砂は書類を繰って用件を話す。
昨日配達が遅いとクレームを入れてきたオナホの男性が、通販で買ったものを配達するときは事前に携帯に連絡を入れてからにしてくれ、とかいう非常に面倒な要請だった。
別にこれを徹底しないとどうこう、というわけではないが、同じようなことを同じ客にやらかすと、二度目のクレームは最初のものに比べてキツいものになるのが普通だ。
オレは納得いかないながらも渋々了解し、美砂に「その他の配達員にも伝えてくれ」と言っておいた。
 
「あとねー」
「なんだよ、まだ何かあるのか」
「そんな嫌そうに聞かないでよ。面倒な話じゃないから」
「ほう、じゃあ、いつも持ってくる話は面倒な話だと自覚しているわけか」
「百田君」
 
美砂はオレを無視して、熱心に配達準備にかかっている百田に声をかける。
 
「歓迎会なんだけどさ。どこか希望とかある? 焼肉としゃぶしゃぶならいいところ知ってるよ」
 
美砂は朝のこの時間帯が非常に忙しい時間帯であることを理解しているのか。
百田は屈託なく笑う美砂を蔑ろにすることができず、仕事に意識を向けながらも曖昧な返事をしている。
ありがた迷惑だと態度が言っていた。
 
オレが適当に美砂をあしらわなければ百田はいつまで足止めを食っていたんだろうか。
余裕がある日ならともかく、要員の足りていない現状では好意的な物言いも邪魔以外の何物でもなかった。
 
 
 
トラックの中で信号待ちしているとき、着信があった。
このタイミングでとなると、大抵の場合は営業所からで、配達先に関する面倒ごとを聞かされるのが定例だが、オレの予想はいい意味で外れた。
 
「お疲れ様です、九電さん」
 
電話越しに聞く斉藤の声は、一昨日の覇気のない声と違って溌剌としていた。
目の前の信号が青になり、後方のタクシーにニ、三度クラクションを鳴らされたところで、オレは右折し、手近なコンビニの駐車場へと入っていく。
 
斉藤は、今のオレが午前便の時間指定に追われて忙しくしている雰囲気を敏感に感じ取り、用件だけを手短に話した。
FXのことについては何も話さなかったが、あの日、事務に備品を返しに行く際、心変わりしたそうで、管理者に頭を下げたというのだ。
 
斉藤が言うには、職場に来なくなってから今に至るまでは欠勤扱いとなり、給料は出ないものの、雇用契約が切れているわけではないから、週明けから職場復帰できるということらしい。
大手の民間企業ならまずありえない措置だが、営業所が人員不足で困っていることと、アルバイト募集に応募がないことから、管理者も異例の対応をしたということだ。
 
オレはそれを聞いてまず、殴られ損にならなかったことを喜んだ。
正直気は引けていたが、アミに告白された一件を話の種に使ったことが効果的だったらしい。
くだらん惚気話へと脱線しそうになるたびにオレは仕事中であることを強調する。
話の最後に「仕事が終わったら、久々に飲みに行きましょうよ」と誘われた店は、やっぱりアミの店だった。

オレが斎藤のアパートを訪ねた日を思い返せば、破局でもおかしくなかった関係だったはずなのに、斎藤の調子を聞いていると元サヤに落ち着いたといった感じか。
それにしてもあれだけオレが語気を荒げて説得してもまるで聞く耳を持たなかった斉藤が、アミの話が出た途端に180度変わるというのは納得がいかない。
オレが本当にアミと付き合うことになっていたら、どうなっていたか。
借りがあるぐらいのレベルでは済まさんぞ、斉藤。
 
 
 
午前便が終わっての休憩中、またも美砂がやって来た。
「何か用事か?」と聞いたら「別にー」と言ってオレの隣に座る。
 
朝の時点では普段どおりに見えたものの、同僚から同僚ではない何かに関係が変わった美砂はオレのことを意識しているのか、口数がいつもより少ない。
もはや時折訪れる沈黙が苦痛だなどとは思わないが、美砂からの話題が尽きかけてきたところを見て、オレは配達中にあった斉藤の電話のことを話してみた。
 
「斉藤君、帰って来るんだー!」
 
オレは職場の元同僚が復帰するぐらいのニュースでここまで喜ぶ女を他に知らない。
業務の都合上、要員が充足することで助かるのは美砂よりオレや百田のはずだが「斉藤君の歓迎会しないとね!」とはしゃぐ美砂は、オレと斉藤が今日アミの店に行く約束をしていることを知ったとき「私も絶対行く!」と言って聞かなかった。
午前から出勤している美砂は、よほどのことがない限り18時頃に営業所を出るわけだが、オレの仕事が終わるまではその辺をぶらついておく、という予定が即座に決まったらしい。
「まぁ勝手にしろよ」とオレは興味のない風を装ったが、これだけ嬉しそうにしているのを見ると「美砂が来るほうが楽しくなるかもな」と思わずにはいられなかった。
 
 
 
アミの店までの道中、美砂と一緒に電車に乗る。
「オレが来るまでの三時間、何をしてたんだ」と聞くと、美砂は「秘密ー」なんて言ってはぐらかした。
 
「どうせ大したことはしてないくせに」と毒づいたり「そんなことないよ。これはこれで充実した時間だよ」と返されたり「じゃあ何してたか教えろよ」とイラついたり「だから秘密だって」とイラつかれたりする何でもないやり取り。
楽しんだり、喜んだりするようなことはないぐらい自然に交わされる日常の会話。
 
「九電君、結婚とかは?」
 
江坂さんにこう言われたときは「この人は何を言っているんだ」と思ったものだが、オレでも美砂でもない二人をよく知る第三者が見た二人の関係は、もしかしたら将来、そういう関係になっていることが簡単に想像できたのかもしれない。
「これから先、どうなるかわからない」と思うのが恋愛なら「これから先もこうなんだろうな」と思うのが江坂さんの見るオレと美砂の――。
 
「ほら、何やってんの。着いたよ、駅」
「え? ああ」
 
背中をバンバン叩かれる。
次いでスキップで電車を降りる美砂。
 
こういう立ち振る舞いだけを見ていると、とても同年代の女とは思えない。
社会の悪い面で擦れた感じがしないところが美砂のいいところかもしれない。
 
「最初に言っとくがな、美砂」
「ん? なに?」
「お前は酒癖が悪いんだから程ほどにしておけよ。今日は王様ゲーム付き合わないからな」
「またまたー、実は楽しみにしてるくせに」
「してねぇよ」
「私が切り出すのを心待ちにしてるくせに」
「してねぇっての」
「あはははは」
 
アミと美砂は顔見知りなわけだし、今日は斉藤もいるし、手に負えなくなったら放って帰ってもいいよな。
とまぁこんなことを考えていられたのも、美砂が五杯目の梅酒ロックを飲む前の話だったわけで。
アミと斎藤が付き合ってるなんてこと言わなきゃよかったかもしれない。
 
「じゃあ王様の命令行きまーす! 斉藤君とアミちゃんが三十秒抱き合ってちゅー!」
「ちょっと待って。美砂さん、今名指しで言いました?」
「ううん? えっと、アミちゃん1番? 斉藤君は? 3番? じゃあ1番と3番が三十秒抱き合ってちゅー!」
「こらこらこら!」
 
もはやルールも何もあったものではない。
美砂のところに王様が回るのは、江坂さんの送別会のときにやって見せた何かしらのいかさまが使われているからだろう。
美砂は他人に回った割り箸の番号を盗み見てはやりたい放題やっている。
 
とりあえず今日は斉藤の歓迎会みたいな感じらしいので、主役の斉藤と、その斉藤が一番喜ぶであろう相手のアミが毎回選ばれて、人前でやるには抵抗があるが、自宅では毎日やっていそうな内容の命令が飛びまくっている。
美砂のテンションが上がると同時に、居辛さを感じた他の客が店を出て行くのと平行して、王様からの命令も徐々に過激なものになっていく。
止めようと思った場面もあったが、当人たちが恥ずかしながらも従っていく様を見ていたら、オレの常識的な思考回路はこの場では無粋のような気がして、美砂がオレを選ぶとき、何を命令するのかだけを意識するようになった。
 
「九電さんの彼女って、本当に面白いよね」
 
店員という立場があるはずだが、美砂が出来上がってからのアミはカクテルを作ることもなくなり、カウンターのこちら側が定位置となっていた。
というか、ことあるごとに美砂が呼び出すので、向こう側にはいられないというのが正しいか。
斉藤が王様の命令にクレームをつけている間ぐらいしか、オレと話す時間がやってこない。
 
「彼女じゃないけどね。前にも言ったと思うけど」
「違うなら、なんなの? 前にも聞いたと思うけど」
「だから、ただの同僚だって」
「本当?」
「まぁ」
「本当に本当?」
「なんでだよ」
「いや、それなら、なんで私、フラれたのかなって」
 
斉藤のクレームは怒涛のごとく押し寄せる王様の反論によって容赦なく切り捨てられている。
普段コールセンターの業務で様々な客の相手をしているからか、美砂は相手の言い分に対しての反撃の仕方を心得ているらしい。
酔ってなお斉藤を折れさせる話術は、アルバイトにしておくには惜しいぐらいの迫力があった。
 
「美砂さん、マジで勘弁してくださいよ。無断で欠勤してたことは謝りますから」
「ダメダメ! 王様の命令は絶対です! 王国に住む者は例外なく王様に奴隷として仕えるべき宿命なのです!」
「俺、王国民じゃないですよ。美砂さん、いい加減飲みすぎですって」
「貴様、王様に意見するとは不届きなヤツ! おい、九電君! じゃなかった、2番はいないのか、2番は!」
「はいはい、なんですかっと」
「斉藤君を、じゃなくて、3番を縛り上げて、1番への生贄として差し出したまえ! そして氷口移し! さらには三十秒ディープキッス!」
「はいはい」
「ちょ! 九電さんまで! マジですか、勘弁してくださいよ! ちょっと待って!」
「斉藤、お前に殴られた痛みは忘れていないぞ」
「は? いやそれは、すいませ、じゃなくて、今そんなことは問題じゃなくて!」
「今この場の美砂の相手と、オレと美砂の分を奢りということで手を打とう」
 
シラフで言えることには限界があるからな。
この辺で借りを返させておくのは常套手段だろう。
 
王様の命令どおり1番と3番に嬉しい罰ゲームをくれてやったところで、アミが次の王様を選出しようとする美砂の手を掴んだ。
 
「美砂さん、毎回美砂さんが割り箸を配るのは不公平ですよ。そう思いませんか?」
 
うおっ、すげぇ勇気。
この場で酒に飲まれていないのはアミちゃんだけじゃないのか。
一番年下とはいえ、場慣れしている感が半端ない。
 
「そ、そうかな? 別にずるやってるってわけじゃないんだし、別に」
「ずるじゃないんなら、私がやっても問題ありませんよね?」
「えっ?」
「問題あるんですか?」
「いや、別に? 別にないけど」
 
そんなことを言いつつ、美砂の表情が強張っている。
粗暴な王様はなりを潜め、運命の割り箸ルーレットがアミの手に渡る。
アミは手の中で割り箸を混ぜて、最初にオレのほうへと突き出した。
 
「選手交代です。どうぞ」
 
なんだ、このにやけ面は。
オレは深く考えないようにして一本を引くが、期待は外れて、王様ではなく2番の割り箸だった。
 
アミは美砂、斉藤の順番に割り箸を差し出すが、どうにも嫌な予感がする。
大体王様ゲームというヤツは、王様にならない限りは何らかの被害に遭う可能性があるわけで、少人数となると、王様になれる確率が高くなる代わりに、なれなかったとき、罰ゲームをさせられる可能性が高くなるわけで。
 
「王様だーれだっ!」
 
アミが掛け声を発するが、とりあえず美砂は手を挙げなかった。
オレはホッとしたが、それ以上に斉藤が安心しているのが気にかかる。
斉藤からすれば、美砂が王様でないのならそれでいい、という心境だろう。
今まで散々やられる側であったために、その気持ちが手に取るようにわかった。
 
しかし、美砂でもなければ斉藤でもない。
オレは2番だから、当然オレであるはずもない。
ということは王様は消去法で……。
 
アミが「王様♪」と書かれた割り箸を見せびらかす。
「さて、ここから反撃ですよ」と言わんばかりの悪い笑み。
 
「美砂さん、何番ですか?」
「え? そんなの言えるわけないじゃん!」
「あー、ずるいですね。今までは散々私たちの番号盗み見してたくせに」
「そ、そんなことしてたっけ?」
 
惚ける美砂。
いやに攻撃的なアミ。
 
「確か王様の命令は絶対なんですよね?」
「と、ときと場合によると思うけど?」
「王国に住まう者は例外なく王様に奴隷として仕えるべき宿命なんですよね?」
「ダメ! 奴隷制度はよくない! 私、断固反対します!」
「では、2番が3番に――」
 
命令が発表される寸前、斉藤がオレに耳打ちする。
「格好いいところ、見せてくださいよ」と。
 
「告白して、抱き合って、キスです!」
 
王様ゲームのいかさまって、意外と簡単なのか?
オレがやり方を知らないだけか?
 
オレは命令に従って立ち上がる。
 
「え? うそっ! 2番って九電君? ちょ、ちょっと待って!」
 
美砂が派手に仰け反って、テーブルのグラスが床に落ちる。
酒の上気を別にしても美砂の顔が赤くなっているのがわかった。
 
アミの気持ちもわかる。
自分が攻撃するときはやたらめったら調子に乗るくせに、やられる番となればこの慌てよう。
確かにこいつには制裁が必要だ。
 
「美砂」
「待った! よくないってこういうの! 落ち着こう! とりあえず水飲んで落ち着こう!」
「美砂、オレは美砂が好きだ。オレと付き合ってくれ」
「……ほ、本気なの?」
「バーカ、罰ゲームだよ」
 
腰が引け気味な美砂に重なって、オレは奴隷としての宿命を全うする。
アミと斉藤が拍手している様子をオレは背中に感じていた。
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