株で絶対に負けない方法は「株をやらないこと」です。
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昨日も書いたけど
株は全てを奪わないって話
博打をやる上では割と、重要な話なんじゃないかなと思ってきている
要するにさ
相場を張る人は皆、命を賭けているわけだよ、極端な話
小額なら損をしても人生ぶっ潰れない
だから小額からやってみようとか何とか
これってさ、お為ごかしなんじゃねえの?って思うわけよ
一生に一度かもしれない海外旅行でやってきたラスベガス
一夜限りで思いっきりギャンブルに興じてみよう
とかなんとか、そういう「遊び」の博打なら、こんなこと考えなくたっていい
知っておくべきなのは、続くこと
俺たちは、相場を張る俺たちは、きっと死ぬまでこの博打を続けるだろうということだ
一夜限りなんて、とんでもない
今日の相場が良かろうと悪かろうと
今日の収支が儲けていようと損をしていようと
そんなことは関係なく、俺たちは死ぬまでこの博打を続けるだろうという純然たる事実
これをまず知っておくべきだと思う
それを前提として言うなら、小額投資って「なぁにそれ?」って話
ちょっと賭けてちょっと勝って、ちょっと賭けてちょっと負ける
こんなことの繰り返しで、何になる???
よく考えてみろ
博打をしていること自体が面白いと思えるならそれでもいい
俺は株式相場で戦っているんだ、ということ自体が楽しく、充実感もあり、己が人生の幸せに一役買っているのだと本気で思えるのなら、小額投資もいいだろう
でもさ
本当にそうか?
俺は違うぞ
楽しい面白いなんて感情はない
ただひたすら、毎日毎日
ひたすら毎日、怖い
明日はどうなるのか
今日は儲かったけど、明日はどうなるのか
今日は損をしたけど、明日は、助けてくれるのかな・・・?
そんな思いが四六時中、頭の中を巡っている
この感情を一言で表すとすれば「恐怖」だ
これ以外にない
株式投資に手を染めてから何年も経つが、究極は「恐怖」に尽きる
俺はそう考えている
それは分不相応な金額を張るからだろう
と賢人たちはそう言うだろうね
いやはや全く以ってその通り
これに負けたらヤバイというレベルの張りをやっているからこそ、俺は怖いんだ
勝っても負けても千円、一万円、程度のもので済むのなら、今日だって安心して眠れる
たとえダウンチの野郎がゴッツい下げをやっていようともだ
しかしな
これだけは言っておくよ
今は「賢人」として小額投資に一生懸命なヤツらも、いずれは必ず俺のようになるだろうと
つまり、分不相応な金額を張って、乗るか反るかの人生になるだろうと断言しておくよ
遅かれ早かれ誰だって気がつくものだ
相場に終わりはないと
終わりがあるとすればそれは
・二度と相場を張る必要のないだけの資金を得るか
・二度と相場を張ることができないだけの損失を被るか
このどちらかしかないのだ
言うまでもなく、誰だって資金を得たい
損失なんて、誰だって御免被るモンだ
これは人として当たり前の真実だろうよ
次に考えることはと言えば「解放されたい」だ
相場を辞めれるだけの資金を得ようと思ったら「相応に永い時間を賭ける」か「相応に高い金額を賭ける」かのどちらかしかないことに気がつく
そして、小額投資なんてつまんねーことをやっていると「相応に永い時間」を失い続けているだけじゃないのか?といった極単純な事実に気がつく
となれば、ここは勝負
どうせ生きるか死ぬかしかない博打なんだから、短期決戦
全力でブチ込み、ダメならダメで潔く散るしかないだろ、と考えて、信用余力全力で新興株に突っ込むことを検討する
だがしかし、日本株は優しく、前回の記事でも語ったように、そう簡単に決着をつけてはくれない
眠れない夜は毎日のように続き、今日も今日とて、俺は死に物狂いでダウンチを応援するしかないって状況になってしまっているわけだ
それが無駄だと知りながらもね
賢いあなたは、とんだギャンブル狂がクソな記事を書いているなと思ったことだろう
俺だって、株式投資を始めたばかりの頃に今日の記事を読めば、そりゃあバカにもするし、ネットの海にはなかなかのゴミが浮いてるな、とさえ思っただろう
しかし言っておく
遠からぬ将来、あなたもきっとそうなる
勝つか負けるかでしか終われない勝負ならば、早く決着を見たいと考えるようになる
もはや株がどうとかって話じゃないんだよ
博打に手を染めた者の将来は、生きるか死ぬかしかなく、決着がつくそのときまで、地獄のような苦しみを味わい続けなくてはならないというのは、もはや宿命なんだよ
辞めるか死ぬかの二者択一
無論俺は、勝って辞める気でいるがね
株は全てを奪わないって話
博打をやる上では割と、重要な話なんじゃないかなと思ってきている
要するにさ
相場を張る人は皆、命を賭けているわけだよ、極端な話
小額なら損をしても人生ぶっ潰れない
だから小額からやってみようとか何とか
これってさ、お為ごかしなんじゃねえの?って思うわけよ
一生に一度かもしれない海外旅行でやってきたラスベガス
一夜限りで思いっきりギャンブルに興じてみよう
とかなんとか、そういう「遊び」の博打なら、こんなこと考えなくたっていい
知っておくべきなのは、続くこと
俺たちは、相場を張る俺たちは、きっと死ぬまでこの博打を続けるだろうということだ
一夜限りなんて、とんでもない
今日の相場が良かろうと悪かろうと
今日の収支が儲けていようと損をしていようと
そんなことは関係なく、俺たちは死ぬまでこの博打を続けるだろうという純然たる事実
これをまず知っておくべきだと思う
それを前提として言うなら、小額投資って「なぁにそれ?」って話
ちょっと賭けてちょっと勝って、ちょっと賭けてちょっと負ける
こんなことの繰り返しで、何になる???
よく考えてみろ
博打をしていること自体が面白いと思えるならそれでもいい
俺は株式相場で戦っているんだ、ということ自体が楽しく、充実感もあり、己が人生の幸せに一役買っているのだと本気で思えるのなら、小額投資もいいだろう
でもさ
本当にそうか?
俺は違うぞ
楽しい面白いなんて感情はない
ただひたすら、毎日毎日
ひたすら毎日、怖い
明日はどうなるのか
今日は儲かったけど、明日はどうなるのか
今日は損をしたけど、明日は、助けてくれるのかな・・・?
そんな思いが四六時中、頭の中を巡っている
この感情を一言で表すとすれば「恐怖」だ
これ以外にない
株式投資に手を染めてから何年も経つが、究極は「恐怖」に尽きる
俺はそう考えている
それは分不相応な金額を張るからだろう
と賢人たちはそう言うだろうね
いやはや全く以ってその通り
これに負けたらヤバイというレベルの張りをやっているからこそ、俺は怖いんだ
勝っても負けても千円、一万円、程度のもので済むのなら、今日だって安心して眠れる
たとえダウンチの野郎がゴッツい下げをやっていようともだ
しかしな
これだけは言っておくよ
今は「賢人」として小額投資に一生懸命なヤツらも、いずれは必ず俺のようになるだろうと
つまり、分不相応な金額を張って、乗るか反るかの人生になるだろうと断言しておくよ
遅かれ早かれ誰だって気がつくものだ
相場に終わりはないと
終わりがあるとすればそれは
・二度と相場を張る必要のないだけの資金を得るか
・二度と相場を張ることができないだけの損失を被るか
このどちらかしかないのだ
言うまでもなく、誰だって資金を得たい
損失なんて、誰だって御免被るモンだ
これは人として当たり前の真実だろうよ
次に考えることはと言えば「解放されたい」だ
相場を辞めれるだけの資金を得ようと思ったら「相応に永い時間を賭ける」か「相応に高い金額を賭ける」かのどちらかしかないことに気がつく
そして、小額投資なんてつまんねーことをやっていると「相応に永い時間」を失い続けているだけじゃないのか?といった極単純な事実に気がつく
となれば、ここは勝負
どうせ生きるか死ぬかしかない博打なんだから、短期決戦
全力でブチ込み、ダメならダメで潔く散るしかないだろ、と考えて、信用余力全力で新興株に突っ込むことを検討する
だがしかし、日本株は優しく、前回の記事でも語ったように、そう簡単に決着をつけてはくれない
眠れない夜は毎日のように続き、今日も今日とて、俺は死に物狂いでダウンチを応援するしかないって状況になってしまっているわけだ
それが無駄だと知りながらもね
賢いあなたは、とんだギャンブル狂がクソな記事を書いているなと思ったことだろう
俺だって、株式投資を始めたばかりの頃に今日の記事を読めば、そりゃあバカにもするし、ネットの海にはなかなかのゴミが浮いてるな、とさえ思っただろう
しかし言っておく
遠からぬ将来、あなたもきっとそうなる
勝つか負けるかでしか終われない勝負ならば、早く決着を見たいと考えるようになる
もはや株がどうとかって話じゃないんだよ
博打に手を染めた者の将来は、生きるか死ぬかしかなく、決着がつくそのときまで、地獄のような苦しみを味わい続けなくてはならないというのは、もはや宿命なんだよ
辞めるか死ぬかの二者択一
無論俺は、勝って辞める気でいるがね
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